今,平和の力が試されている
昨日は終戦の日。世界,そうでないとしても日本近辺,東アジアだけでも平和になっただろうか。残念ながらこの答えはNOという人が多いのではないだろうか。しかも,理由もひとつではないであろうというのがこれまた不思議。ある人は北朝鮮を挙げ,ある人は安倍総理を挙げる。米国やトランプ大統領を挙げる人もいるかもしれない。
戦争が一度起こってしまえばどうなるか。この時期になると,必ずと言ってよいほど戦争についての特集がされる。当時の状況は様々なので多様な在り方があり,それぞれの視点で紹介されている。起こると悲惨なことになるので戦争は必ず起こしてはならない,ということだろう。この点はコンセンサスがとれていると言えるのではないだろうか。
対話をする際の前提条件
だからこそ,外交や対話が大切だと言われている。先のコンセンサスが取れているというのは,ここでこれらをすっ飛ばして戦争をしたいと思っている人は日本にはいないだろう,ということである。
先の北朝鮮の例であれば,経済制裁などが行われている。この後,対話するという段階になるだろう。その時に覚悟しなければならないことがある。それが,自分は何を勝ち取るのか,そして相手に何を与えるのか,ということである。自分の意見を100%受け入れさせる交渉は別の手段(よく言われるのが軍事力であり,その他根回しもそうかもしれない)を併用しない限り実現しないと言われる。純粋な対話だけでは難しい部分もある。なぜなら,純粋な対話であれば,自国(自分)が得にならない話には誰だって頷かないからである。
もちろん,ベストな解はお互いのウィンウィンになるような解である。ただし,こじれていればいるほど,その解が求められない場合も多いだろう。だから,ウィンウィン案を提案できない限りは,対話をすることは,相手を部分的に認めるか,自分のものを手放すか,少なくともどちらかを覚悟しないといけないということだ。
北朝鮮については様々な圧力で北朝鮮の要求が全く通らない形で落ち着くのか,それとも交渉で部分的に要求が認められて落ち着くことになるのか,そこは僕には情報が足りないので分からない。戦争になるのは最悪である。戦争に至らずに解決してくれることを祈っている。
妥協なき交渉は暴力的
もうひとつ,国政の話も同じ。対話をするということは互いの意見を変化させる試みとほぼイコールであり,そこから生み出される第三案こそが,一歩一歩進んでいくことになると思う*1。しかしながら,ウィンウィンになるか別の圧力をかけるかしない限り,意見の変化を拒む純粋な意見や概念は,相まみえることができない。だから従うことしかできない。
従うことしかできないということは,受け入れることしかできないという意味で強制的であり,押し付けられるという意味で暴力的でさえある。純粋で代えがたいものであればあるほど。妥協なき概念はそういう性質であることは理解しておくべきだと思う。
対話なき論争
最近気になっているのが,意見や概念が純粋すぎて,対話にならないことが多すぎるのではないかと思う。あまりに度が過ぎると自分に都合の良い情報しか目に入らなくなり,自分と違う意見を見落としてしまっているのではないだろうか。安倍政権も然り,最近言われるようなった「報道しない自由」もまた然りである。
また,ちょうど安倍政権が憲法改正を言い出し,戦前の雰囲気に近くなっているとか,きな臭くなっているとか,そういう声がある。そこでそう思っている人に聞いてみたいのが,あなたが安倍政権と対等な立場で対話できるとしたら,妥協させるか,自分が何を妥協するか。
自分が妥協しないのであれば,どうやって全面的に受け入れさせるのか。相手が全面的に悪いのだから…という論理であれば,ウィンウィン案を提案するか対話と別に圧力でもかけない限り,相手は交渉にのってこないだろう。たとえ悪でも相手の想いや反応を考えずに,正論である自分の意見が通ると思うのはあまりに自己中心的,おそらくそう思っている人の嫌いな,「正義を振りかざす」米国と同じなのではないだろうか。
結局口では対話というけれど,対話などする気はなく,暴力的にただ自分の意見を押し通したいだけなのではないだろうか。そして,最近起きている安倍政権で起きていることが別の筋からの圧力のように見えてならない*2。安倍政権を崩壊させれば問題は解決するのだろうか。
戦前の雰囲気でなければそれで良いし,そうであるならば転換してほしいと思っている。そこの根底にあるのが単なる反安倍なのか,それともそれを超えようとしているのか。何を批判しているのか。
今,平和の力が試されている。
大企業か中小企業か?重視したいのは…
この前,知り合いが就職活動で大企業がいいか中小企業がいいか悩んでいた。ある人は大企業は厳しくブラックなところもあるし,個性を発揮しにくい部分があると回答していた。それは多分間違っていないと思う。
ブラックだとして指摘されているのは確かにいわゆる大企業が多い。だからといって,そうでない会社がブラックかどうかは分からない。そんなことを言ってしまったらそもそもこの議論は意味が無いんだけれど,企業の規模に関係なく,カテゴリーで見るのではなく,その会社と向かい合って見れば自ずと答えは出てくるはず。
この後の話は今までの話を踏まえて読んでほしいんだけど,どちらが良いかどうかは人によると思う。個性の発揮がしやすいのは一般的に中小企業なんだけれども,その反面教育制度が整っているのは大企業だったりする。大企業には育ててもらえる環境があるし,中小企業はいきなり最前線に立てる可能性がある。このあたりは分野や自分の価値観に従えばいいと思う。
最近,新国立競技場建設に携わっている若者が過労自殺してしまったというブラックなニュースが報道された。時間外200時間を把握せずという状況の末のよう。この一連のニュースで気になった報道があった。
採用活動が難航し,2016年度の新入社員がこの若者たったひとりだったのだという。このどこが気になったかというと,同期がいなかったという事実である。
この記事の中にも「相談や愚痴をこぼす相手がいなかったとすれば、本当にかわいそうなことをした」という会社の担当者の言葉が紹介されていた。いくら働き方改革が進もうが,ブラック企業を撲滅させたとしても,入社後に辛いことに出くわすのはほぼ間違いない。その時に会社で一番頼りになるのは同期なのだと思う。
僕が勤めている会社では今では数人をコンスタントに採用している。僕が就職したのは就職氷河期の頃で,残念がら同期がおらず,部署でも身近に相談できる人がいなかった*1。その半面,後輩や先輩たちには同期がいる。本当に羨ましい。哀れんでほしいわけではないけれど,そのことを僻んでみてもわかってもらえない。心が追い詰められ,あと一歩でダメになってしまうのではないかと思った瞬間は何回かあった。持っている人はその大切さが分からないのだろう。
タイトルの…はもうお分かりだろう。重視したいのは会社の規模ではない。同期の有無である。仮に会社を辞めて同期がいなくなったとしても,それまでに人間関係ができていれば緩くつながっていられる。ちょっと引いた視点で相談に乗ってもらえるようになるかもしれない。
それなら大企業が有利と思うかもしれないけれど,必ずしもそうではない。中小企業は一般的に同時に複数人を新たに雇うほど人が多くないけれど,それは他の人も同じなので,そもそも同期へのこだわりが薄い。だからあまり気にする必要はない。一番残念なのはそれなりの規模の会社なのに同期がいない場合。そういう会社はオススメしない。もっとも,新卒一括採用が終わったら同期という概念がなくなるだろうけれど。同期って言うよりも相談に乗れる相手がいるかどうかか。
最後に。僕が耐えられたのは,外の世界に触れたからというのが大きい。たまたまではあるものの,別の会社で働くという経験ができたので,今の会社だけが全てではないと思えることができた。これはレアケースだと思うけれど,会社の外のコミュニティ(もちろん趣味の世界のものでも)に参加をするという方法もある。直接的に相談できないかもしれないけれど,会社の枠を超えた新たな視点を得られるというメリットもある。会社が辛いときほど会社に目が行きがちだけれど,そうでない世界があることは覚えておきたい。
*1:と思い込んでいただけだったのかもしれないが
あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございます。
今年も良い年になりますように。
さて,今年からブログのタイトルを変えました。
「どっとこぶろぐ2nd」から「どっとこうMOTTO」になりました。
ブログの立ち位置を決めかねていたのですが,結局は「書きたいときに書く」という当たり前でいて,それでいて自由な結論に至りました。
なのですが,今年はスピード重視ということで,基本的には,Twitterを中心に発信していきます。そこで書き足りないもの,漏らしたくないもの,そういうものをゆるくこのMOTTOの場で発信していきます。
もしよろしければ,フォローをお願いします。
@futagawakou
ちょっと短いですが,新年の決意ということで,お許しください。
今年もよろしくお願いします。
「なるんだ!ボクがホントの主人公に!」を読み解く
今年ももうすぐ終わるということで,今年をちょっと振り返ってみてみた。いろいろあったんだけど,心に響いたフレーズをひとつ紹介したい。
それがこのタイトルにもある「なるんだ!ボクがホントの主人公に!」である。これは『デジモンユニバース アプリモンスターズ』(※1)の主人公,新海ハルの発言である。本編を見る前にチェックしたキャラクター紹介ページ(※2)にも書かれており,第一印象では主人公に主人公になると言わせるとはどういうことか,と思ったものである(※3)。でも,そんなことがここで紹介した理由ではない。ちょっと読み解いてみたい。
■主役キャラと脇役キャラ
この発言の背景には,他人と比較して自分が脇役っぽい(と思い込んでいる)ので,その脇役キャラからの脱出して主人公キャラになりたい,ということがある。まず,他人と比較してイケてるイケてないの評価をすることのは不幸になる考え方。しかも,サンプルがおそらく親しい友人(あえて誤変換)のみだろうから,コレはよりイケてない。
そしてその発言があった時の「主人公」「脇役」の定義ってなんだろうか?結局彼は何が不満だったのだろうか?言わんとしていることはわからなくはない。でも,僕にはうまく言い表せないんだけど,当初は,「注目を集める存在」,ということのように感じられた。だから脇役はその反対の意味で「どうでもよい存在」「注目されない存在」という意味なのだろう。
余談ながら,頻繁に登場する彼の恥ずかしいエピソード「10歳までおねしょしていた」という点について,なぜそんなことをしていたのかというと,おねしょをすることで,結果として自分にもっと構ってもらえるというメリットがあるという説を聞いたことがある(※4)。この問題を解決する方法として合致する話でなかなか興味深い。
■ホントじゃない主人公との決別
もうひとつ気になったのが「ホントの」という表現。これは暗にニセモノがあることを示している。ニセモノとはなんだったのだろう?これは彼の趣味の読書で,現実世界で満たされない主人公キャラへの想いを物語を読むことで代用し,その中で主人公気分になっていたということとの対比になっているのだろう。傍から見るとなかなか寂しく,クラスメイトに「本を読んでいる時は楽しそう」(=そうでないときは?)とまで言われているのだから想像すると結構痛い。 ま,僕だって,前回書いた「過去には自分に似せたキャラクターを創ったこともあった」なんてこともあったから,人のことは全く言える身分ではありません。
ここでちょっと面白いのが,それを今度はオーディエンスである僕らが彼に共感し,追体験しようとすると,この「ホントの」という言葉で強制的に自分の現実世界に戻されることになる。彼が読書で得ていたような代理経験では許されないのである。現実世界を変えたくなるのである。そういう意味では厳しい作品とも言えるし,優しい作品とも言える(販促的も都合がいい(笑))。
■主人公になるには?
では,どうやって主人公になるのだろう?作中で彼が行っているのは「主人公になる」と決意して行動するだけである。ARの世界がなんとかしてくれるものではない。アプモンたちとの冒険の旅そのものが主人公にしてくれるわけでもない。
ここで最初の想いと少しズレているのに気づく。「主人公になる」と決意するだけでは「注目を集める存在になる」にはならないだろう。でも,このズレている方が定義に敵っている気がしている。当初の定義であれば,主人公がいて脇役がいることになるのだけれど,こちらの定義になると,みんながみんなの人生を主体的に歩んでいくことになり,全員が主人公であってもおかしいことは全く無い。そして他人と比較することに意味はない。
■自分の人生を選択する
さらに突っ込むと,「主人公になる」とはどういうことだろうか?どう行動するのが主人公なのだろうか?自分から発信しないとクラスメイトは振り向いてくれない。だから受け身ではなく主体的になる,首を突っ込んでいく,それが主人公になるってことなのだろう。これは僕が日頃自分に対して思っていた解釈(問題意識)を彼に反映させているから間違っているかもしれない。つまり,心に響いた理由は他でもない,ここに自分が再現されるという「構造」を見つけてしまった。しかも結構精度が高い。
とここまで書いておいて,ちょうどうまく言い表された一文があったので最後に紹介したい。
「仲間とともに現実と向き合い、自分の人生の選択をしていく新感覚バディストーリー。」
なんてことない,公式ホームページの作品紹介(※5)の最後に書かれている内容そのまま。あれこれ考えたのは何だったんだろう(笑)。
そして「自分の人生の選択をしていく 」とは,どういうことなのか。今までだって人生の選択をしていたのではないか?今までの生き方と何が変わるのか?自分としてのこの答えが腑に落ちていない。この番組の答えを鵜呑みにする気はないけど,参考にしたい。彼の約3倍の年である僕が中1と同じ悩みを持つのはどうかと思うものの,気づくのに遅すぎることはないわけで,ただただ期待しています。
※1 デジモンシリーズについての知識はないので,シリーズについて当たり前の事項を指摘していたらごめんなさい。むしろ作品全体の個人的な印象としては『ネットゴーストPiPoPa』のAI版かと思った。初回を見てよりその印象が深くなった。
※2 http://www.toei-anim.co.jp/tv/appmon/character/
※3 別の回では髪の毛が緑色でアニメキャラらしいということでイマイチな評価を受けていた。いや,アニメキャラ以外の何物でもないですから,と思わずTVに突っ込んでしまった。
※4 その話を改めて聞いたのは100分de名著(10月の再放送)。出演していた伊集院光さんも10歳までおねしょをしていたエピソードが披露されていた。http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/51_adler/index.html
※5 http://www.toei-anim.co.jp/tv/appmon/introduction/
キャラクターから構造へ
どっとこう17周年
昨日になってしまったけど,どっとこうが生まれて17周年目となりました。しばらく遠ざかっていた時期もあるし,見てお分かりのとおりそんな感じです。今後,二川項としての活動をどうしようかと考えている間にあっという間に,というのが正直なところ。
ほかのソーシャルメディアの使い方との整理もできていないし,まだ結論は出し切れていない。だけど,このどっとこぶろぐも細いながらも続けたい。更新を一日に数回は難しくても,年に1回以上はね(笑)。◯周年というのは再起動するには良いタイミングかと。
物語を紡ぐように日本を,世界を見つめていければと思う。
とだけ書いておこう。三度寝にならないように。
おはよう,どっとこぶろぐ
おはようございます。
どっとこぶろぐ再開です。
ブログを休止してから早7年半。
明けない夜はありません。
細く長く続けていきたいと思ってますので,
これからも引き続きよろしくお願いします。