どっとこうMOTTO

電子書籍『After』(全2巻),BookLive!(http://booklive.jp/product/index/title_id/116980/vol_no/001),紀伊國屋書店(https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-0012917)などで好評発売中。

テイルズ・オブ・エターニア

マルチメディアとはメディアが多すぎて,
よくわけがわからないことなのかもしれない


テイルズ・オブ・エターニア
(2000年発売・ナムコ・PS1)
評価:★★★☆☆☆(C:暇ならおすすめ)


このゲームをやった最初の感想.『スターオーシャン2nd』に似てる….星が二つ出てくるとか,音楽の方向性が似ているとったから,料理イベントや戦闘方式などまで幅広く似ている.


リッドとは誰か

こんなことは普通考えないと思いますが,あえて考えてみてほしいと思います.このゲームはリッドを中心にして展開していきます.とはいうものの,リッドを戦闘から外すことも可能です.しかし,セイファートの試練の一連のイベントを見る限り,リッドを中心にまわっているのは確実でしょう.リッドが主人公です.


リッドが最後に,積極的になる(ゲームの序盤のときはストーリーへの参加を拒んでいたようにみえる),その過程に大きく影響しているのはイベントであるが,結局よくわからなかった「フィブリル」(「極光術」と同義らしい)に依存している部分が大きいことも否めません.


このフィブリルとはやっかいなもので,どうしてリッドにフィブリルがあるのかについての答はわかりません.私はこのフィブリルはドラクエでいうところの「勇者」の遺伝子のようなものにしか思えません.なぜ,リッドとレイスにのみフィブリルがあったのか,あるいはシゼルがネレイドに見込まれてしまったのか,語られないままです.


語っていないものに理由が不必要なほどの力を持っている物語もあります.感情的なものの言い方ですが,このゲームからはその力を感じることができません.せめて語らない理由がほしいところです.


私にとっては,どうして彼らが選ばれたのか,その理由が必要不可欠です.その理由に感情移入することができるわけです.その結果そのものだけに感情移入をするわけではないと思うわけです.感情移入をしなくても,主人公理解には背景は不可欠なことです.


インフェリアの3人の主人公にはレグルス遺跡の秘密もありますが,忘れているわけではありませんが,プレイヤーには伏せられています.これもプレイヤーが主人公に感情移入するのを妨害します.ロールプレイするのにも情報不足なのです.


情報がない場合はプレイヤーがつくることになりますが,このゲームはそれを許さない程のキャラクター情報が流入してきます.例えば,このゲームには声が設定されています.声があることによって,より主人公が細かく描けることに一役買っています.キャンプスキットも同じです.


ここまではいかにリッドが独立した人格を持つ人間なのかについて力説してみました.しかし,リッドにはまた別の側面があります.


たとえば,テイルズクイズに答えることによって,「テイルズせんせい」といった称号を得ることができます.さて,実際のリッドがテイルズせんせいなのかというと,そうではありません.他のテイルズシリーズについての知識はリッドではなく,プレイヤーが持ち合わせているものです.つまり,このリッドの個性にかかわる称号に関して,プレイヤーの知識を持ち出すのです.


リッドって何者なのでしょうか.プレイヤーにとってどんな存在なのでしょうか.そこがいまいち見えてこない.


メルクニス語よりも先に検討すべきことがあるのでは?

このゲームの特徴の一つにメルクニス語というはじめの主人公達の知らない言語が登場してきています.これ自体,英語をベースにして作られていて,正直申しまして,さほど特殊なものではありません.とはいえ,プレイヤーにとっては気になることですし,世界観の演出という視点から見ても,重要な役目です.そう,インフェリアとセレスティナの差をつけているわけです.


また,大精霊に個性があるのはよいのですが,名前には全くといってよいほど個性がありません.ウンディーネにイフリート,シルフにノームと大概のゲームで採用されている用語を用いています.両世界に関連性をつけたいのなら話は別ですが,さて,どうでしょう.おそらく無意識につけているのでしょう.せめて意識的につけていただきたかったです.


どうしてそう推測するかはこの世界の+αの部分にあります.このゲームにはさまざまな作品からの引用がボーナスとして用意されています.『ファンタジア』の登場人物を出したり,直接につながりのない他のテイルズクイズがあったり,『ドルアーガの塔』があったりとまあ外部世界からの無秩序ともいえるプレイヤーサービス.クリアをしていることとネレイドの迷宮が出現することと何の関係があるのでしょうか.


要は,システムと世界観がばらならなのです.プレイヤーに喜んでもらいたいとか,やりこんでほしいということがわからないわけではないですが,ゲーム全体としての調和がとれていないように見えてしまいます.詰め込みすぎだと言わざるを得ません.


2人でやるという意味はわかっていますか?

このゲームのもうひとつの特徴は,戦闘を4人ですることが可能だということです.さて,どんな風にプレイをしているのでしょうか.戦闘場面は任意の主人公を操作するとして,それ以外の場面はどうなのでしょう.操作できる主人公はひとりです.プレイしている4人の意見は常に合っているのでしょうか.主人公に対する認識も同じなのでしょうか.


ゲームの楽しみは,チームプレイをしているから楽しいのでしょうか,それともストーリーなりの,ゲームの内容が楽しいのでしょうか.そこを考えてほしいものです.そもそもこのゲームに楽しいという感想を持つことがいいのかどうかも不明です.「楽しい」である必要はないのですが,ではどんな感想を期待しているのでしょうか.


それ以前に何十時間も4人でゲームをプレイするのでしょうか.何十時間も複数人を拘束するわけです.しかもこのゲームの場合,オンラインゲームや対戦ゲームとは違って常に自分の主体性があるわけではないのです.4人プレイは(メンバーが集まれば)とても楽しいのですが,なぜ4人でするのか/できるのか,その思想なしに取り入れることには無理があるのではないでしょうか.ポケットステーションを使うときも同様です.ポケットステーションがこけてしまったのも使うゲームに思想が足りなかったからなのではないでしょうか.


で,結局?

アニメーションかラジオ(CD)アニメーション(あえてラジメーションという表現は避けます)かで再現した方がこの話の場合,いいんじゃないかなあ,というのが素直な感想です.ひとつひとつのパーツは必ずしも悪くはありません.プレイヤーにとって主人公とは何かということが見えていない以上,ゲームである意味がわからない.

と,厳しいことを書きましたが,私にとって,リッドの感情がわからなかったということがより厳しく書いてしまった原因なのかもしれません.わかった方にとってはいいゲームなのかもしれません.ただ,私はやっぱりこのゲームをやって感動したり,深く考えたりすることはありませんでした.


<評価詳細>
ストーリー:★★☆☆☆☆ (D:やるなら止めはしない)
 システム:★★★☆☆☆ (C:暇ならおすすめ)
   音楽:★★★☆☆☆ (C:暇ならおすすめ)
   私見:★★☆☆☆☆ (D:やるなら止めはしない)