どっとこうMOTTO

電子書籍『After』(全2巻),BookLive!(http://booklive.jp/product/index/title_id/116980/vol_no/001),紀伊國屋書店(https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-0012917)などで好評発売中。

【社会】十分議論するために必要なこと

たとえば,小泉首相イラク問題をはじめとした懸案事項の国会への議論が足りない,と野党議員や野党的なマスコミに言われている.実際に小泉首相が国会で議論をしていないと,おそらく多くの人が思っているだろう.では,逆にどうなったら,十分な議論をした,と言えるのだろうか.


議論が足りないと主張している方々にとっての最終点は,間違いなく,自分の意見が受け入られることだ.そもそも議論の終着点には3種類しかない.自分の意見が受け入れられるか,相手の意見を受け入れるか,あるいは折中案に落ち着くか,である.議論をしようとしている人は,どんな場合でさえ,自分が正しいと思う結論に持っていきたいと思うものだ.はじめから折中案を狙っている場合でさえ,折中案に落ち着くという自分の意見を通しているの過ぎない.


だから,イラク問題の政府の対応に批判的なメディアや野党が十分な議論をしていないと主張していたとしても,それは自分の意見が通っていないから十分ではない,という意味なのかもしれない.意見が決まっている小泉首相も同じくすでに意見が決まっている野党と話をしても平行線だから,意見が変わる可能性のある国民世論に直接話しかけているとしたら,それはあながち間違った行動とはいえないのかもしれない.


このことは,イラク大量破壊兵器があるかどうか,イラク問題の発端となった議論にも似ている.まだ調べてみなければわからないと主張する立場と,あると決まっているのだからといって攻撃を始めた立場.与党と野党にそっくりである.残念ながら,日本がテロリズムが暗躍するというイラク化をする前に,日本の国会はすでにイラク化してしまっているのである.


野党の総選挙で負けた言い訳に,争点にならなかった,とか言っている人がいる.だとしたら,争点はなんだったのか,国民が与党を,小泉さんを選び,そして自分達が選ばれなかった争点とは何なのか,それをはっきりさせてもらいたい.世論の多くが反対しているから,と言うのならば,少なくともその争点になった問題に関しては,黙らなければならないだろう.なぜなら,世論の多くが,少なくとも,総選挙のときには,与党に賛成しているのだから.反対に,争点になった問題のときは,少数者の意見が無視されている,と言うのがお決まりだ.どちらにしろ,自分達の意見が反映されていないから問題にしているのだ.これは現在の野党だけではなく,現在の与党が野党になったときにだって当てはまるだろう.


互いに妥協する余地がなければ,いくら時間を割いても十分な議論をしたとはいえない.果たして互いの意見を言いっ放しの国会で十分議論ができるのだろうか?私には疑問だ.国会での議論が無駄なのではない.国会ですでに結論の出ている意見や原理・原則をぶつけるだけでは進展もないし,意味もない.そんなことだから,代表を選んだ国民にもう一度語らなければいけなくなってしまうのだ.このことは国会だけに限らない.


もちろん,議論は原理・原則に則って行われるし,大切なものであることには変わらない.ただ,議論しても変わらないからこそ,原理・原則なのではないだろうか.議論,そして合意に必要なのは,「賛成」か「反対」かの二項対立ではなく,「1」と「0」を「10」にしてしまう,「したたかさ」なのではないだろうか.僕らは,各方面の意見をできるだけ多く取り込もうとしているしたたかな議論をしているのだろうか,それとも勝ち負けのある「原理の戦争」をしようとしているのだろうか.