どっとこうMOTTO

電子書籍『After』(全2巻),BookLive!(http://booklive.jp/product/index/title_id/116980/vol_no/001),紀伊國屋書店(https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-0012917)などで好評発売中。

【せろん】師はいたるところに存在する

先ごろ発生した佐世保の事件を巡って,インターネットやサスペンス,映画などのメディアが槍玉に上がっている.僕個人の意見では,メディアと今回の事件とは全く無関係とはいえないが,インターネットを取り上げ,メディアを無くしたとしても,事件が無くなくなるかといえば,それは違うと思う.


無関係とはいえない,というのは,例えば確かにサスペンスの手法を見たからその事件が起こった,ということが考えられなくはないということだ.ただ,たまたまサスペンスにその「手本」があっただけのこと.実際の殺人事件が詳細に報道され,それを参考にした模倣犯が登場したら,報道番組を規制すればよいのだろうか.


そもそも報道も含め,全てのメディアが無くなったとしても,僕たちには「まだ」現実が「残っている」.現実の大人や周りの人が「手本」を見せてしまったら,その「手本」には,メディアと同じか,メディアに映ったもの以上の意味を帯びてしまう.現実世界は無くせない.「手本」を無くさない限り,事件が無くなることはないだろう.


事件を無くすためには事件を無くせばよい.この結論は間違っていないが,堂々巡りをしてしまう,現実味のない理想みたいなものだ.ここで視点を変えて,当たり前の事実に注目したい.問題になったサスペンスや映画を見た人全てが人殺しをしたわけではない,ということだ.


彼女とそうでない人の違いは何だったのだろう.特にウェブの世界に特徴的なことだが,ネットをしている人(あなたも!)全てが出会い系に足繁く通ったり,怪しいサイドビジネスをしこしこしているわけでない.ウェブの世界に何を求めているかなんて,一意には決められない.だけれども,何かを求めている.


おそらく彼女は,あの番組や映画を見る前から心のどこかに,本気で殺したいという気持ちがあったのだと思う.映画や番組はそのきっかけに過ぎない.大勢のうるさい会場にいたときにでも,自分の名前はなぜか聞こえてしまう.いくら考えても出てこなかったアイディアが,ふとした瞬間にいきなりひらめく.それと同じことだと思う.


ただし,何も考えずに見ることによって,その番組の思考の枠組みをそのまま自分のものにしてしまうかもしれない.緑を赤にするのは大変なことだが,透明を赤にするのは簡単だ.大人にできることは,子どもにどんな思考の枠組みを持たせられるか,そのために何ができるか,それしかないのではないだろうか.


メディアは媒介であり,増幅装置でしかない.「何を」見たかよりも「なぜ」見たかの方が大切なことだと思う.師は師だと思った人全員が師なのだから.