どっとこうMOTTO

電子書籍『After』(全2巻),BookLive!(http://booklive.jp/product/index/title_id/116980/vol_no/001),紀伊國屋書店(https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-0012917)などで好評発売中。

ネトウヨを減らしたければ野党を批判しなさい

今回のタイトルは一見論理矛盾だし,何かを煽るようなタイトルになっているけれど,順を追って説明したい。「ネトウヨ」の定義はいろいろあるけれど*1,「ネット」右翼であることは間違いないだろう。

 

 ただ,あまりポジティブな意味では使われないことが多い。ここでは,それが問題だという文脈に則って,「ネトウヨ」を減らしていく方法を考えたい。まずは,言論空間がネットの世界が拡がっているのは別に珍しいことではない。(今で言う)ネトウヨ的論調だって同じであろう。しかし,同時に考えたいのは,「ネトウヨ」がなぜ目立つのか,あるいは「ネトサヨ」が出てこなかったのはなぜだろうかということである。

 

固定された日本の政治と言論空間

 ネトウヨたちがネット空間を必要としたのは,新聞や雑誌,テレビのマスコミ等といった言論空間が既存の場所に足りなかった,だからネット空間を新たなフロンティアとして捉えて拡がったからだろう。ネトウヨでない人たちだって,ネット空間に展開しているだろうけれど,ネトウヨが目立ってしまう理由があるとすれば,既存の言論空間に比べると存在感があるからだろう。ということは,「ネトウヨ」的な言論空間が既存の(非ネットの)言論空間に足りていないということである。

 

 それはなぜかと言えば,日本の政権が自民党という,左翼的ではない政権が続いている*2からである。そうであれば,政権,つまり権力の監視を目的とするジャーナリズムが左翼的に固定されてしまったことに何の不思議もない。

 

 特に左翼的な人から見れば,今の安倍首相は自民党のなかでもより右翼的であると認識している人が多い。ということはより左翼的な論調が多くなるなるのは当然だろう。そのタイミングとネトウヨ的論調が既存の言論空間から消えて,ネットに展開していったのも偶然ではないだろう。最初に書いたとおり,これからネトウヨを減らしていくために必要になるのは,ネトウヨ的な言論空間を既存の言論空間に持ってくることである。どうやって持ってくるか,タイトルにあるとおり,野党を批判する反野党のジャーナリズムを育てることが一番なのではないかと思っている。

 

鍛えられれば強くなる

 安倍政権へは,第1次政権の時を含めて,あれこれ批判されてきた。その批判を乗り越えて今の安倍政権があるわけで,相当鍛えられている。それに比べていわゆる反アベ勢力への批判は弱いように感じる。共感している,あるいは守ってあげたいと思っているのかもしれないけれど,その親切心がかえって弱体化を促しているような気がしてならない。批判されて,指摘されて育つ部分もある。今の野党にはフィードバックが足りていないのではないか。


 安倍政権を批判している人が言うところの「アベ一強」は皮肉なことに安倍政権を批判している人が作っているようにさえ見える。タイトルにある野党を批判しなさいというのは,つまり野党を鍛えなさい,ということに他ならない。鍛えられた野党で政権交代が起これば,権力の監視の方向性も変わる。そうなると(現在の)反野党のジャーナリズムが必要になってくる。政権交代のあるアメリカであってもまだまだなので決して簡単ではないだろう*3


 とはいえ,先の野党と同じく,言論空間において適切な批判が為されて反野党のジャーナリズムが鍛えられて,ネトウヨ的な論調の一部でも既存の言論空間に吸収されれば,わざわざネットで論じていこうとするモチベーションも低くなり,トレンドとしてのネトウヨは弱くなるだろう*4

 

無くすのではなく,薄める

 さて,ここまで論じてきて考えたいのが新潮45の件の問題である。ここで明らかになったのはあのような批判しかできない,あの程度の批判しかできない反野党のジャーナリズムのレベルの低さなのではないだろうか。


 ということは,すべきなのは新潮45に掲載された内容への適切な批判であろう。出版社も含めて一部で展開している新潮45の廃刊を求めることでは決してないだろう*5。もしこれで廃刊になったら,また言論空間が狭くなり,ネットに吸い寄せられネトウヨを盛り上がらせることにしかならないだろう。

 

 ネットでの言論(ヘイトスピーチ)規制する動きもあるけれど,規制したところでどこかに新たな表現先を求め続けるだけだろう。閉じ込めるのではなく,薄めていく。排斥ではなく,賛成はしなくても,認めあっていくということ。逆説的に見えるかもしれないけれどそれが一番近道なのではないだろうか。

*1:例えば,Wikipediaでも多様な定義が紹介されている https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E5%8F%B3%E7%BF%BC

*2:自民党が左翼的であるという意見はあるけれど,野党よりはという意味で。もちろん自民党の支持者がすべてネトウヨでもないだろう

*3:日本語で紹介されていないだけかもしれないけれど,現在のトランプ大統領は本論の相似形だろう

*4:もちろん,過激な右翼的意見は残るだろうけれど,それは過激な左翼的意見と同程度だろう

*5:形式な観点から言えば,これは少数派意見に対する議論の接し方の問題でもある。つまり少数派であれば弾圧してもよいのか,ということである