ゾロリを見て泣いた日(あとがきその1)
2000年代の中盤にハマった作品に「かいけつゾロリ」がある。
そんな「かいけつゾロリ」が東京MXテレビで再放送をやっていたので観た。
「かいけつゾロリ」については,このブログでも過去何度か記事にしているけれど,
ウィットの効いた,笑える,面白い作品だった。
だけど,不覚にも泣いてしまった。しかも涙が止まらないレベル。
もともと,ゾロリの中でも泣きやすい回として有名な
「てんごくとじごく」「ゾロリさいごの日」の回だったことが大きい。
でも,前に観たときには泣くことはなかった。
この違いはなんだったのだろう。それははっきりわかる。
僕の母親の命がもう長くなく,ゾロリのようにママとお別れしないといけない日が
そんなに遠くないだろうということ。
そして天国のゾロリママの言葉が響き,そこから自分の状況に思いを馳せてしまった。
僕はまだ結婚していないからか,お嫁さんもお城も手に入れていない
「大人」として描かれているゾロリへの見方も変わった。
前観たときだって,人が亡くなるということはどういうことなのかは
知識としては知ってはいたけれど,そのことにリアリティを感じられなかった。
だけど,今はそのことの意味を感じることができるようになってしまったので,
その表現の深みがしっかりと伝わってくるのだ。
どちらも同じかいけつゾロリである。ゾロリは変わっていない。
変わったのは僕の方。ということは,作品との出会いはタイミングも重要であり,
タイミングを外すとハマるものもハマらないということになる。
印象に残る,ハマるということは作品の力だけでは成しえない,奇跡的なことなのだ。
逆に言えば,多くの人がハマるということは,同時代の顔となる資格があり,
時代を象徴しうる存在になり得るということなのだろう。
もちろん,一人ひとりの経験はユニークであることに疑いはない。
その回を見てから1ヶ月ほど経った後,
僕の母親は亡くなった。