僕とゲーム
いつもは自分自身について語ることはあまりないんだけど,今回はちょっと語ってみたい。
二川項小史
僕は1980年生まれ。小学生に入った頃にファミコンと出会う。ただ,お小遣いもなかった。新しいゲームは誕生日やクリスマスプレゼントに買ってもらうのがやっと。ゲームのし過ぎで親から怒られることもしばしば。麻雀のルールを教えてくれたのもゲームだったけど,「ドラゴンクエスト」シリーズが好きだった。
中学校に入った頃にスーパーファミコンと出会う。お小遣いはあったが,大した金額ではなかったのでゲームに充てることはなかった。はじめて自分の小遣いの中で買ったゲームは中古ゲームの『ファイナルファンタジー6』だった。高校に入ってすぐの頃だった。そのままの流れでプレイステーションと出会い,『ファイナルファンタジー7』を買った。
小学四年生の頃,物語をつくることに目覚める。中学校に入学して授業でゲームっぽいもの(多分LOGOだったかな)を作って楽しかったのを記憶している。それとは別に,TRPGもどきのようなものを自分で作ったりもした。友達からRPGツクールを借りてゲームを作った。そしてのめり込んだ。高校のときにはRPGツクールで作ったゲームでコンテストに応募したこともあった。
高校卒業後の進路では,ゲームに携わりたいと思った。専門学校という手もあったが,大学でゲームの研究をしたいと思った。とはいえ,当時はまだゲーム学科みたいなものは無かった。しかも,いわゆる理系ではなく文系的なアプローチで学びたいと思った。全国の大学を調べて,結局某大学の文系の情報系の学科に入った。
大学ではパソコン,そしてPCゲームと初めて出会った。この頃,日本ファルコムとkeyに出会った。自作ゲーム(インディーズゲーム)にも出会った。ゲームを題材にして授業のレポートを書いたこともあった。それどころかゲームには「私のゲーム(自分の判断が求められているゲーム)」「あなたのゲーム(自分を登場人物に投影し,察するゲーム)*1」「彼・彼女のゲーム(自分に関係なく,登場人物を察するゲーム)」の3種類があることを踏まえた上で,インディーズのJRPGをプレイさせてその前後で性格に変化があるかどうか,というテーマで卒論を書いた。
だがしかし,卒業後はゲーム制作には携わることなく現在に至る。そしてゼロ年代まではゲームをいくつかプレイしていたが,その後位置情報を活用したゲームを楽しんだことを除いて,そんなに情熱は注くことはなかった。コミュニケーション主体のゲームもソシャゲにも希望を感じなかった。MMORPGをすることも無かった。
僕の望んでいた方向性
ざっくり言うとこんな感じである。こんな僕が最近読んだ本がある。「ゲンロン8 ゲームの時代」である。今までの流れがキレイに説明されていて驚いた。いくつも驚きがあったんだけど,そのなかから2点紹介したい。
ひとつ目は,進路でなぜ「文系」を選んだのか。単純にゲーム業界に就きたいのであれば,専門学校や理系のコンピュータ系の学科を選ぶのが勝ち筋だったのだろう。今でもそう思う。でも,あえてそうはしなかった。
それで自分は何をしたかったのだろうかと言えば,小説と映画と演劇では表現方法が違うように,そこにゲームというメディアが持つ物語の可能性を探求したかったのだろう。対談で語られていたまんまの流れである。
そんなにポジティブに語られていないようだったけど,当時の僕にはJRPGの可能性を感じていた。だからこそ,システム的な「理系」ではなく,出版的な「文系」を選んだのだろう。そのなんとなくの判断の説明がついたことが,僕にはとても驚きで,いろいろな思い出が湧き出してきてわくわくした。
まぁ,理系の中で文系的なアプローチを取るのが良かったのではないかと思うところもあるんだけど,それは当時の僕には思いが至らなかった。あ,大学時代もピンポイントの後悔はいくつもあったけど,総じては後悔してません。念のため。
今のゲームをしない理由
もうひとつの驚きが,最近ゲームがご無沙汰になった理由。もちろん,仕事が忙しかったりして時間がないのも理由のひとつ。だけど,それだけでは説明がつかない。この対談はそこをしっかり説明してくれた。それが対談の最後に紹介されている「ソシャゲはパチンコである」という点。
僕が好きだった物語性はそこにはなく,似たような美少女キャラで推して,金で能力が決まる。僕はパチンコをしないのもあるんだけど,そこに魅力を感じることはない。そんなこともあってちょっと離れてしまった。そしてこのサイトの方向性も失われてしまった(笑)
ゲームに希望は持てるか
興奮したその一方で残念にも思った点もあった。登場する研究家が狭いこと。決して編集者に忖度したわけではないだろう。正しい批評によって育つのに,そこが足りていない。もっと多様な批評家がでてきてほしい。
そして,今後のゲームがどうなっていくかということ。別に海外礼賛をしているわけではないんだろうけれど,結果的にそうなっている。これからの日本のゲームはどうなっていくのだろう。個人的には,海外と同じことをする必要はないと思っている。ニッチかもしれないけれど,海外にはないタイプのゲームができていくのを望みたい。そして物語のゲームがあってもいいじゃないかとも思う。
どちらにしても僕はゲームの可能性を感じることができたのは,1980年前後生まれだったということを改めてわかった。そのことは偶然であり,幸せであった。できれば他の世代でもそう思う人が増えてほしいと願う。
*1:この本に収録されている論考がまた刺激的で,この分類についても改めて語りたくなってくる。この話は長くなりそうなのでまた改めて。