どっとこうMOTTO

電子書籍『After』(全2巻),BookLive!(http://booklive.jp/product/index/title_id/116980/vol_no/001),紀伊國屋書店(https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-0012917)などで好評発売中。

【時事】第二次世界大戦とイラク戦争

我々は日本人である.第二次世界大戦を経験している.そんな日本人はこの戦争をどう見ているのだろう.おもしろいことに,当時の日本政府はよくないと言っている人ほど,この戦争に反対している.もし大戦当時の日本に行くことができたら,どうするのが最善の解決方法だったのだろうか.

もし,日本政府の侵略行為をやめる事を主張するなら,イラク戦争ではフセイン政権を批判するべきだろう.そして新しいイラクでも平和や基本的人権の尊重を謳った新憲法をつくればいい.この意味では韓国がイラク戦争に賛成したのはある意味当然といえよう.また,日本は賛成しなければならなかった.ここで日本が反対にまわれば,現在の日本を否定することになるつながるからだ.戦後の日本政府に等しい自民党にはそれはできない.同時に自民党と対立している野党が反対にまわるのも当然だろう.

アメリカの侵攻がよくないと主張するなら,イラク戦争でもアメリカに反対すればいい.イラク戦争アメリカに反対するということは,第二次世界大戦アメリカの侵攻もよくないと言わないといけない.ただ,当時の日本は日本以外,中国や韓国等に影響があるという点で一意には比較できないだろうけど,私にはここでねじれが起きているその理由がいまいちよくわからない.

どちらも悪いという選択肢ももちろんある.この意見をイラク戦争にてはめれば,どちらも悪いとなるが,国全体としてみれば,調査全体としてみれば,この選択肢が最も有力だ.世界の脅威は?という質問にブッシュ,フセイン両者が互角だった事からもうかがえる.しかし,個人単位ではどちらも互角に悪いといっている人はあまりいないのではないだろうか.もしいたら,私の見識が狭いか,メディアの報道が偏っているかどちらかである.結局はどっちが悪いかということにはなるだろうが,さてどちらだろう.

そういえば,日本がこんな行動に走ってしまったのも国際連盟から脱退したことがきっかけだと習った覚えがある.アメリカが国際連合から脱退することは考えにくいが,状況としてはそんなに離れてはいないのだろうか.とくにアメリ単独主義イラク戦争突入と思った人にとっては同じ状況に写るのではないだろうか.どうすれば,あの時の日本脱退ということにならなかったのだろうか.その答が,アメリ単独主義を防ぐ鍵があるのではないだろうか.

その答が脱退しようとしている政府が変わることではないのは明らかだ.それは国際連盟国際連合の役割ではないはずだ.もし,国連にその役割があるのなら,アメリカにブッシュ政権の退陣を迫る前に,フセイン政権や北朝鮮に対して退陣を迫っているはずだ.

我々は第二次世界大戦の参戦から敗戦までを通して,何を学んだのだろうか.まさにそのことが問われているような気がしてならない.

【時事】イラク国民の命よりも大切なもの

戦争が始まり,戦争が終わった.この戦争に対しての意見はいろいろあるが,おそらく共通していることは,イラク国民の命についてはかなり考えられていた,ということだろう.と同時にイラク国民の命よりも大きな大義名分の話が多かったということだろう.

一番重要なこと,大義名分はなんだったのだろう.イラクはこれから民主化する.そのために戦争が起こせば,おのずとイラク国民が死んでしまうのは避けられないだろうし,実際に死んでいる.現状を見てもイラク国民が幸せなのかどうかはわからない.ただ,ホワイトハウスがしきりに主張していた,大量破壊兵器が出ていないのは気になるところである.

では,戦争反対を訴えていた人はどうだろう.イラク国民が幸せに暮していたとしたら,間違いなく戦争を反対することで,イラク国民の命を守ることができる.戦争が始まったその時にアメリカが去ってもフセイン大統領による統治は続いている.これが良いというのなら,戦争を反対すべきだろう.しかし,フセイン大統領は隠れてしまった.そしてイラクにはイラク国民と経済制裁が残されてしまったことをみると,フセイン大統領がイラク国民の事を考えていたのかは謎である.

戦争を反対して得られるものはなんだろう.平和である.平和が大切なのである.ここでいう平和とは,戦争による死者がなくなるという意味である.そのことが重要なのだ.何事も武力による解決がいけないのだ.

その証拠にフセインに対するデモが少ないことが挙げられる.デモをしているのは攻撃賛成派の人たちだけだ.反対の人はせっかく国連による平和的な解決が阻害されたことに苛立ちを覚えているのであって,フセインの善悪を問題にしているのではないのだ(フセインは名目上はまだ灰色.ただし,国連が介入しているということは悪いかもしれないということだ).だから,たとえフセイン政権下でイラク国民がひとりでも多く殺されていよう(私は実際に殺されているかどうかはわからない)が,国際社会として平和裏に解決することのほうが重要なのだ.

どちらの大義名分が正しかったのだろうか.どちらもイラク国民の命が最優先ではないという点では同じなのである.まさにその国の国益が優先された結果だといわざるを得ない.当のイラク国民は実際この戦争をどう見ていたのだろうか.それは数多くのイラク国民に聞いてみないとわからない.だが,実はどちらも正しくてどちらも間違っているのかもしれない,と私は見ている.ブッシュはノー,フセインにもノー.