どっとこうMOTTO

電子書籍『After』(全2巻),BookLive!(http://booklive.jp/product/index/title_id/116980/vol_no/001),紀伊國屋書店(https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-0012917)などで好評発売中。

キャラクターから構造へ

このブログを久しぶりに書くにあたって,どう書こうかと改めて振り返ってみた。ブログのキャッチーコピーとしては「二川項から見る世界」や「キャラクターは人生の道しるべです」ということを書いた。「二川項から見る世界」というのはまぁ,そうなんだけど。僕から見る世界って他の人から見る世界と何が違うんだろうね。僕が特別にユニークなんじゃなくて,誰ひとりとして同じわけじゃないからね。
 
もうひとつの「キャラクターは人生の道しるべです」については,キャラクターの知見を人生に活かしたい,ということ。研究テーマが自分とそのキャラクターの性格的類似性の関係が自分に与える影響だったから,つい,性格という意味でのキャラクターに注目してしまう。ただ結局キャラクターと接してもうまく分析できず,生かせずじまい…とちょっと悲しい。振り返る中で,このアプローチは誤解を招く表現だな,と気づいた。というよりちょっと勘違いしていた部分もあった。
 
キャラクターを活かすとは,服を着替えるようにそのキャラクターの力を借りるということ。とはいえ,着たい服があれば着たくない服もある。もっと言えば,そもそも着られない服かもしれない。そうなってくると,まず服で言うサイズであろうキャラクターとの性格的な類似性というのが重要になってくる。自分と合うかどうか,ということだ。
 
そうなってくると,キャラクターとの性格的な類似性は,似てるに越したことはないんだろうけど,全く同じなんていうことはあり得ないわけで, どこまで似ていれば良いのだろうか。十分な条件を満たすキャラクターは現れるのだろうか?多分,それはかなり稀だろう。だから過去には自分に似せたキャラクターを創ったこともあった(※1)。それが僕の作品のモチベーションだったことさえもあった。
 
※1 ただし,この手法は自分の枠を超えた展開ができない,成長の度合いが低いというデメリットも併せ持つ。他人だからこそ発見できるものもある。
 
キャラクターとの類似性を無視した解決策は失敗しやすい。それは間違いない。だけど,自分と瓜二つなキャラクターがいない中で,そのキャラクターの細かい特徴にこだわることにどれだけの意味があるのだろうか。例えば身長の高い低いに一喜一憂することにそれだけの意味があるのだろうか?意味は無いとわかっていても,キャラクターとの類似性が重要なのであれば,そこに注目せざるを得ない。
 
そして今までの話で忘れられているのがどんな服を着たいか,「どうありたいか」というテイスト,方向性の話である。仮に性格の類似の条件を満たしたキャラクターがいたとしても,そのキャラクターの方向性が異なっていればこれはまた話にならない。性格との差異はまだ調整の可能性がある(調整が不要であることはまずない)が,方向性の差異は修正しようがない。そういう意味で性格なんかよりも方向性の方が断然重要なのである。
 
さらに今までに出ていなかった話でもうひとつ加えておきたいのが「環境」の話である。先の服の話であれば,沖縄と北海道では年間を通じて同じ服を着ることはできないっていうこと。仮に性格や方向性を満たしても,自分には得られない資源を活用した解決策では実現できないのである。
 
僕は今まで性格にこだわりすぎていた,と反省している。性格は必要条件に過ぎず,方向性と環境のほうがむしろ十分条件であるような気がしてならない。だから言い直したい。重要なのは性格との類似性ではなく,構造なのだと。もちろん,構造とは環境と方向性と性格から成り立つ。キャラクターが併せ持つのは性格に加えて,環境と方向性も持っているということであり,はじめのキャッチコピーに誤りがあるわけではない。キャラクターの概念が広がった,ということ。
 
どんなキャラクターであっても,自分の行動に落とし込むためには,キャラクターから自分への翻訳が必要なのである。性格そして環境は翻訳の難易度にかかわってくる。ここは無理をするところではない。易しいに越したことはないわけで,性格の重要性は失われていない。性格だけでは不十分ということだ。
 
というわけで,自分の今の状況を構造と合致する作品との出会いを探している。構造,っていう言い方をするずっと前,以前更新していたときからずっと。別に小説でもドラマでもいいんだけど,よく多用しているのはアニメ。アニメなのは構造のバラエティーが豊かでかつ,視聴がお手軽だからである。ドラマは相対的にキャラクターの幅が狭く,1回60分のドラマは1回30分のアニメよりも視聴が大変,ということに過ぎない。そして,そういう見方ばかりしているわけではないのは補足させてほしい。