どっとこうMOTTO

電子書籍『After』(全2巻),BookLive!(http://booklive.jp/product/index/title_id/116980/vol_no/001),紀伊國屋書店(https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-0012917)などで好評発売中。

今,平和の力が試されている

昨日は終戦の日。世界,そうでないとしても日本近辺,東アジアだけでも平和になっただろうか。残念ながらこの答えはNOという人が多いのではないだろうか。しかも,理由もひとつではないであろうというのがこれまた不思議。ある人は北朝鮮を挙げ,ある人は安倍総理を挙げる。米国やトランプ大統領を挙げる人もいるかもしれない。

戦争が一度起こってしまえばどうなるか。この時期になると,必ずと言ってよいほど戦争についての特集がされる。当時の状況は様々なので多様な在り方があり,それぞれの視点で紹介されている。起こると悲惨なことになるので戦争は必ず起こしてはならない,ということだろう。この点はコンセンサスがとれていると言えるのではないだろうか。


対話をする際の前提条件

だからこそ,外交や対話が大切だと言われている。先のコンセンサスが取れているというのは,ここでこれらをすっ飛ばして戦争をしたいと思っている人は日本にはいないだろう,ということである。

先の北朝鮮の例であれば,経済制裁などが行われている。この後,対話するという段階になるだろう。その時に覚悟しなければならないことがある。それが,自分は何を勝ち取るのか,そして相手に何を与えるのか,ということである。自分の意見を100%受け入れさせる交渉は別の手段(よく言われるのが軍事力であり,その他根回しもそうかもしれない)を併用しない限り実現しないと言われる。純粋な対話だけでは難しい部分もある。なぜなら,純粋な対話であれば,自国(自分)が得にならない話には誰だって頷かないからである。

もちろん,ベストな解はお互いのウィンウィンになるような解である。ただし,こじれていればいるほど,その解が求められない場合も多いだろう。だから,ウィンウィン案を提案できない限りは,対話をすることは,相手を部分的に認めるか,自分のものを手放すか,少なくともどちらかを覚悟しないといけないということだ。

北朝鮮については様々な圧力で北朝鮮の要求が全く通らない形で落ち着くのか,それとも交渉で部分的に要求が認められて落ち着くことになるのか,そこは僕には情報が足りないので分からない。戦争になるのは最悪である。戦争に至らずに解決してくれることを祈っている。


妥協なき交渉は暴力的

もうひとつ,国政の話も同じ。対話をするということは互いの意見を変化させる試みとほぼイコールであり,そこから生み出される第三案こそが,一歩一歩進んでいくことになると思う*1。しかしながら,ウィンウィンになるか別の圧力をかけるかしない限り,意見の変化を拒む純粋な意見や概念は,相まみえることができない。だから従うことしかできない。

従うことしかできないということは,受け入れることしかできないという意味で強制的であり,押し付けられるという意味で暴力的でさえある。純粋で代えがたいものであればあるほど。妥協なき概念はそういう性質であることは理解しておくべきだと思う。

 

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対話なき論争

最近気になっているのが,意見や概念が純粋すぎて,対話にならないことが多すぎるのではないかと思う。あまりに度が過ぎると自分に都合の良い情報しか目に入らなくなり,自分と違う意見を見落としてしまっているのではないだろうか。安倍政権も然り,最近言われるようなった「報道しない自由」もまた然りである。

また,ちょうど安倍政権が憲法改正を言い出し,戦前の雰囲気に近くなっているとか,きな臭くなっているとか,そういう声がある。そこでそう思っている人に聞いてみたいのが,あなたが安倍政権と対等な立場で対話できるとしたら,妥協させるか,自分が何を妥協するか。

自分が妥協しないのであれば,どうやって全面的に受け入れさせるのか。相手が全面的に悪いのだから…という論理であれば,ウィンウィン案を提案するか対話と別に圧力でもかけない限り,相手は交渉にのってこないだろう。たとえ悪でも相手の想いや反応を考えずに,正論である自分の意見が通ると思うのはあまりに自己中心的,おそらくそう思っている人の嫌いな,「正義を振りかざす」米国と同じなのではないだろうか。

結局口では対話というけれど,対話などする気はなく,暴力的にただ自分の意見を押し通したいだけなのではないだろうか。そして,最近起きている安倍政権で起きていることが別の筋からの圧力のように見えてならない*2。安倍政権を崩壊させれば問題は解決するのだろうか。

戦前の雰囲気でなければそれで良いし,そうであるならば転換してほしいと思っている。そこの根底にあるのが単なる反安倍なのか,それともそれを超えようとしているのか。何を批判しているのか。

今,平和の力が試されている。

*1:ちなみにこの第三案を出すことが「アウフヘーベン」(日本語だと「止揚」)と言えるだろう。意味は「あるものを否定しつつも、より高次の統一の段階で生かし保存すること」(デジタル大辞泉 https://dictionary.goo.ne.jp/jn/ より)である。

*2:そういう言質を取られる安倍政権が単純に被害者であるとも思わない