生き延びるためのラカン
語りが学術書っぽくない口語調だし,
引用の元ネタが書かれていない場合が多いんだけど,
さりげなく索引や著書リストを用意しているのはありがたい.
教科書・入門書としての使い勝手はなかなか.
ただ,ラカンの知識のない僕が,
内容の正確さについて論じたりするのは止めておく.そもそもできない.
それでもひじょ〜に参考になる点が多かった.
さて,この本の扉には,
「心の闇」を詮索するヒマがあったらラカンを読め!そうすれば世界の見方が変わってくる!
って書いてある.これは本当だなあ,と思ってしまった.
以下、どっとこう総見*1でのあれこれをばっさり斬ってもらいましょう.
Q.どうして「好きになった作品は語りにくい」*2のですか?
A.
一般的に、男性は自分の立ち位置をしっかり定めてからでないと、何事も享楽できない。*3
【二川項のコメント】
作品を語る前提としての,(「日常」の)自分の立ち位置を
説明するのは難しいよね,ってことなのか.
立ち位置が決まらないと,玉乗りしているみたいで,
どうも落ち着かない感覚になってしまう.
Q.『おおきく振りかぶって』*4についてなんかいろいろ書いてあったけど,
結局はどういうことだったんですか?
A.
報われない、トラウマ的環境にある主人公が、同じく報われない他者を自己犠牲によって救済することで、最終的に自分も報われる。象徴界を介して演じられる「救済」の反復が、それこそ反復によって色褪せてしまわないのは、僕たち(あるいは個人)が、いつでも自分のことを「努力が報われない不遇な主人公」としてイメージすることができるかもしれない。*5
【二川項のコメント】
最初からこれを引用すれば良かったと思うくらい*6.
なんか無茶苦茶恥ずかしい.
ついでに,主役級の2人について言及していたコメント.
あれも,結局2人に自分の感情が投影されています*7,
って告白してるようなもんだよね.
Q.録画したのに見ない言い訳として,「見るのが怖い」*8って書いてあったんですけど,
そんなことはあるのですか?
A.
鏡像に自己イメージを含めて投影し、同一化を試み、しかし同一化が進めば進むほど、自己の支配権、所有権を鏡像に奪われてしまうという不安や被害感も高まっていく.*9
【二川項のコメント】
「主人と奴隷の弁証法」の説明より.
参考にする登場人物が先に成功してしまうかと思うと,不安になるのは,事実.
話の最後で彼女ができるとイマイチ評価が高くならないというのは,
この変形バージョンだろう.
Q.「どっとこう総見」のアプローチについてどう思いますか?
A.
「自己」イメージに基づく「共感」なんて、あまりあてにならないんだ。それは他人の中に自分自身のイメージを発見するだけの、ナルシシックな営みなんだから。
【二川項のコメント】
「どっとこう総見」は,(いろいろ条件はあるけど)キャラクターを使って,
人生のトレーニングができないだろうか,ということを考えている.
自分一人で進めていくという点では,あのナルシスト*10の匂いがすると
言われているジムのトレーニングに似ているのかもしれない.
でも,「どっとこう総見」で一番気をつけたいと思っているのは,
参考にする登場人物を見て,満足してしまうこと.
そして,満足できないようにする,つまり
自分のモノにするためのトリガーになるのが
「参考にする他者」との「差異」ではないかと思う*11.
「どっとこう総見」自体,まだまとまっていないに等しい.
まだまだ考える余地はいろいろありそう.
…「どっとこう総見」を知らない人にはさっぱり分からないような
内容でごめんなさい.この本の魅力について,ひと言で言えば,再度引用するけど,
「心の闇」を詮索するヒマがあったらラカンを読め!そうすれば世界の見方が変わってくる!
ってことだと思う.
お勧め度:★★★★★
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*1:左の「カテゴリ別一覧」から「どっとこう総見」を選択すると,大体の傾向がわかる…はず
*2:id:futagawakou:20070818
*3:p162より引用
*4:id:futagawakou:20070830
*5:p105より引用
*6:さすがスポーツ心理学.(違うか?)あ,でも単行本の3巻の裏カバーに似た表記があるか.
*7:「2人に同一化しています」ではないことに注意.
*8:id:futagawakou:20061229
*9:p95より引用
*10:引用は省略するけど,本文にナルシシズムについての解説がある.
*11:本文中の表現で言えば,「父」「第三者」にあたるようなものではないだろうか.ちなみに,「どっとこう総見」では,同じ人間(登場人物)は一人として存在していない(ただし,オンラインゲームなどで自分の分身を自分で作った場合を除く),という発想を根底に持っている.